今回コメントさせて頂く方は,前回の流れで篠原涼子さんにさせて頂きました。はじめてお会いさせて頂いたのは8年前、確か火曜(木曜?)CXで11;00枠から始まる三谷幸喜さん脚本のシチュエーションコメディへの出演が決まられた時期でした。その後篠原涼子さんとは多分、10回以上お会いさせて頂きましたが、そのほとんどがノーメイクでした。初対面のこの時も”歯医者に行って来た後で・・・・”とスッピンで事務所に現れました。篠原涼子さんにお会いして受けた印象は”人に対する構えが無い・少ない”人。女性が”理想像”としよく挙げるフレーズ的には“自然体”な人とも言えるかもしれません。
自然体、これ、難しいというか、何が自分にとっての”自然体”なのか、ぼくはまだよくわかりません。”何が、何しているときが、どんな精神状態が普通・自然?・・・” まぁこう考えていること自体”自然”じゃないんじゃないか、とか考えちゃって。。また自分に対して自然でいるってことと同時に、相手・第三者に対しても自然に、”裸眼”で人を見る事も歳を重ねるにつれどうなってんのかなぁ、とか、例えば”肩書き”とか人をどこかそういう面で見るようになっちゃうところ、でも逆にそういう見方が”自然”になってきちゃっている自分がいるなぁ、とか。
自分自身の”自然体”はよく分からないのに、なぜ人に対してはなんとなく”この人、素っぽいな、とかニュートラルだな”、そして今回ピックアップさせて頂いた篠原涼子さんに、今思い返しての印象、別に有名だから取り上げようと思ったわけではなく(このブログはそれがベースなんで)、何で今でも強く印象に残っているかなぁ?と振り返るとそれらはやはり冒頭述べた”人に対する余計な構えが無さそう人”、もしくは”(心の)鎧みたいなもののが少ない人”、との印象がぼくの中で一貫してあったから、だと思います。これは人見知りとかフランク、との定義ではなく、先も少し触れましたが自分ではよく自分の”素”って分からないのに相手にはそのような”自然な”印象を受けることがあるのは、相手がストレートだったり、変な意味での警戒心がなさそうだな、との印象を受けるとそれこそ”自然”にこちらもなんとなく構えが無くなっていく、というか。それはベースにそのような人たちが”自分の方が上で、がんばってるし、偉いし”みたいな、そんな価値観が無い、もしくは少ないから”自然体”として映るんじゃないかな、って。
お会いした時間は今から8年前2002年から2004年ぐらいの2年間、ドラマや映画などに主役級で出演されることは今ほど多くは無かったと思いますが、大女優として活躍されている今お会いしても、変わっていないんじゃないか、と思います、あのフラット感は。
ぼくもこの5月でそれまで属していた組織から”脱藩”しまして、大学も浪人したことないので46のこの歳まで組織に属さない経験・時間を持ったことが1回も無かったんですんが、この歳にしてようやく、まだ少しかもしれないけど”組織を鎧とした価値観”の度合いが変わってきたかもしれないな、と思ってます。
篠原涼子さんがプランニングされた”大人向け”絵本:<iframe src=”http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?lt1=_blank&bc1=000000&IS2=1&bg1=FFFFFF&fc1=000000&lc1=0000FF&t=cozy66-22&o=9&p=8&l=as1&m=amazon&f=ifr&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&asins=4847018400” style=”width:120px;height:240px;” scrolling=”no” marginwidth=”0″ marginheight=”0″ frameborder=”0″></iframe>